ジャズミュージシャンにとってアドリブの名演を完コピすることはとても重要な行為とされています。それは、本当でしょうか。
ジャズのアドリブでは、コード(和音)に対してスケール(音階)を乗せることでソロが成立しています。しかし、だからと言って単純に音階を演奏しても良いソロにはなりません。言語と同じで、一定の文法に則って、アルファベット、単語、連語、文章、ストーリーと紡いでいくことで初めて良いソロが出来ます。この、アルファベットの発音の仕方、単語の選び方、文章にする際の接続詞の置き方、などが完コピを分析することで効率よく学べます。そして、完コピしたソロをエチュードのように繰り返し演奏して自分の体に染み込ませることで、即興演奏の場ですんなりと学んだことが音にすることが出来る様になります。つまり、喋れるようになるわけです。
一流のジャズミュージシャンでこのプロセスを経ていない人は一人も居ません。少なくともある一定期間、一定の曲数を完コピして分析して自分で演奏して身につけています。一流になった後でも続けているミュージシャンも多くいます。私は多くのジャズミュージシャンは、完コピが足りない、と感じます。特に発展途上のミュージシャンはやり過ぎるくらい完コピしてちょうど良いと思います。私も完コピしたいソロを探しては見つかったら五線紙に書き落とすようにしています。
しかし、完コピをすることで、クリエイテビティを損ねるのではないか、また、自分らしさが失われるのではないか、という懸念があることは理解できます。が、実際にはそうなったミュージシャンを私は知りません。例えば、クリフォード・ブラウンにそっくりだけど全く面白味のないソロをするトランペット奏者や、コルトレーンそっくりに吹けるけど、自分のフレーズをひとつも吹けないテナー奏者を見たことがありますか。そんなことは起こるはずがありません。なぜならば、それは、小学校中学校を通じて国語をしっかり学んだのに日本語で自分の言葉で表現できない日本人がなかなかいないのと同じ事だからです。
ただ、完コピが全てというわけではありません。限られた練習時間の中で効率よく上達するためには、奏法の基礎練習、スケール練習、などとのバランスを取ることも重要です。また、音楽理論や音楽そのものの知識を深めたり、ジャズ以外の音楽や芸術の見識を深めるなどの時間も必要です。
一つ言えることは、天才の残したソロを完コピしてそっくりに吹けたときの喜びは何にも代え難いものがあります。さ、次は何を完コピしよう。